WEEKLY (THINK)

peelの週報。
スタッフの日常×クリエイティブシンキング

ILLUSTRATED BYヨコヤマ

2024.08.05 100 views

Fとアリと五輪

「モハメド・アリ」に初めて触れたのは、小学生の時に読み耽っていた「ドラえもん」の「無敵コンチュー丹」というエピソードだった。
 
山を切り開いた造成地の一角にて、ボクシングに興味を持つこともなく、ただ漫然と過ごしていた子供だったが、未知と既知をたゆたうようなその響きは何だか頭に残った。
 
モハメド・アリとのファーストコンタクトが、ドキュメンタリー番組やニュース記事だったなら、さして問題はなかったと思う。ところが「無敵コンチュー丹」では「飲めば虫たちの持つ能力が手に入る」という効能について、ややひねりの効いた視点から語られており、その影響で僕はモハメド・アリが、ずっと「わからなかった」。
 
いじめられて愚痴るのび太に「コンチュー丹」を出すドラえもん。
 
の「飲むとスーパーマンになるの?」
ド「虫の力がつくよ」
の「誰が虫けらなんかに」
ド「虫をバカにするな、モハメド・アリを知っているか?」
 
…モハメド・アリを知らない読み手が「?」となるのも無理はない流れだ。
 
その後に続く口上もややこしかった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という、彼の戦いぶりを評した“現実世界の”キャッチフレーズを用いたかと思えば、“フィクションである”道具の効果を説明すべく「アリの怪力」「カブトムシのかたい体」などの言葉が並ぶ。虚と実の境目はどこにあるのか、果たしてアリはボクサーなのか、アリなのか?
 
藤子ファンゆえの深読みも、混乱に拍車をかけた。F先生の作品にはつねづね、田之木彦彦(≒田原俊彦)、真田ヒモ行(≒真田広之)等の「名前をもじった有名人」が登場する。なまじっかそんなムダ知識があるものだから、今件に関しても「モハメド・ホニャララという実在の人物の名を虫っぽくアレンジしたんじゃないか?」という解釈の幅が(己の中だけで)生まれてしまったのだ。結局アリはいるのか、それともナシなのか?
 
頭の中の造成地はいよいよ土砂崩れを起こし、代わりに、彼のことを思い描こうとするたびにシュレジンガーの猫よろしく「(ムハンマド的な)ターバンを巻いたボクサー」と「アリ」とが重なりあって脳内再生されるという、くだらないシナプスが形成されてしまった。
 
だからこそ、1996年のアトランタ五輪開会式に、最終聖火ランナーとしてホンモノのモハメド・アリが登場した時には「これがあのアリか」と、たいへん感慨深いものがあった。もちろんターバンは巻いておらず、ちっともアリらしくない巨躯が目に焼き付いている。
 
藤子F先生は開会式の翌々月、1996年9月23日に亡くなった。

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WRITTEN BY ヨコヤマ

コピーライターです。事象を俯瞰で見つめつつも、血の通った言葉を紡ぎたい。小学生の娘がクラス朝礼で「コピーライターになりたい」と言ったそう。誉れです。

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