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眼科病棟から
贅沢な眺望だ。9階の窓際で、目の前には広い公園。視界を遮るものが何もない。ここにいると早起きになるものだから、空が白んでいくさまを観察するのが日課になっている。鉄塔の航空障害灯がやわくなるのに合わせて、夜と朝がゆっくりと入れ替わる。なんと麗しい今日の始まりだろう。ここにひとつ難があるとすれば、私の眼だ。黄斑前膜の手術を受けてから、右眼にぽっこりとカッペが付けられている。その影響で、いつもの眼鏡がかけられない。だからずっと、遠くの眺めは薄らぼんやりで。
入院前にリアルな手術動画を見たばかりに、少々ひるんでいた。眼球に遠慮なくプスプスと差し込まれていく針とか器具とか。あまりの恐怖に手術をキャンセルしようかと迷ったぐらいだ。麻酔をかけるから痛みは感じない。手術中はとても眩しくて、迫り来る手術器具は見えない。そんな情報を信じて自分を落ち着かせるも、【患者様へ】の書類に「手術中に顔や体を急に動かすと危ないです」という恐怖の一文を見つける。麻酔といっても右目だけの局所麻酔。となると、数々の生理現象が私をおそってくるかもしれない。咳、クシャミ、あくび、しゃっくり。痰の絡みとか、唾の誤嚥も考えられる。それが原因で、先生の手元が狂ったら。尿意や便意に備えてオムツをすべきだろうか。ひょっとすると、うたた寝からの寝返りとか、あるのではなかろうか…。このときほど自分の妄想力の高さを恨んだことはない。
しかし、恐怖が吹き飛ぶほどの感動が起こる。はっきりと見えたのだ。自分の眼球の中で行われている手術が。まるで顕微鏡を覗いているかのように。膜のきっかけを鑷子で掴み、円を描くようにゆっくりと剥離していく神業。頑固に張り付いているのか、少しずつしか膜が立ち上がらない。私はそれを凝視しながら、鑷子の動きと自分の呼吸を合わせていく。膜の一部がスッと剥がれたときは、フーッと息を吐く。そして鑷子が次のきっかけを掴むと、呼吸を小さく整え直す。もちろんそんなことは自己満足で、手術の役に立つはずもない。ときおりホースのようなもので眼球の中に液体が撒かれる。バキューム的なもので吸引されたりもする。その吸い込みは掃除機の「弱」レベルほどに、とてもやさしいものだった。
あのとき確かに、私は私の眼球の奥底を見ていた。そこにある神秘と真実を覗いていた。世界は広いとばかり思っていたけれど、世界はまた、深いものなのだと感じながら。

WRITTEN BY kAwAucHi
タバコは3歳でやめました。文章を書いたり、企画を考えたり、進行管理をしたり。職種がふらついています。