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机上の守破離
どちらかというと、机の上に物を並べておきたいタイプです。「ちょっとは片付けたらどうですかね」、とでも言いたげな冷ややかな視線を、どれだけ浴びてきたことでしょう。私みたいな机環境の人は、成功しないとか、責任感がないとか、約束を守らないとか、だらしないとか、ネットでも散々言われ放題。けれどもそこには、私なりの仕事のやりやすさがあるのです。
机の上を賑わす物体は、すべてがアイデアの緒です。例えばデスクライトの脇に置きっぱなしのコンベックスをシュルシュルと引き出しながら、「家は古びるのではなく、家族と一緒に育つのです」という語りが生まれました。手元でカウントアップしていく目盛りを見ているうちに、子どもの成長とイメージが重なって。それなら、家の経年変化を「古び」ではなく「育ち」と表現してはどうだろうと思えたのです。またあるときは机の端に追いやっていたドロップス缶を振ってみたことで、「カランコロン。それは懐古的な響きで、」という書き出しが生まれました。この音をきかっけに、石畳の歩みに重なる下駄の歯の音、ラムネの瓶の中で揺れるガラス玉の音、お客さんの出入りを合図する喫茶店のドアベルの音、そういったカランコロンが聞こえていた場面が呼び覚まされて。私にとってのカランコロンは、過ぎし日の記憶を揺り動かす郷愁の調べに感じられたのです。
この机環境でなければ生まれなかった考え方や、感情や、言葉の数々。「もしも机の上が片付いていたならば…」、想像するだけでゾッとします。
振り返れば物書き界の私の師匠と大師匠も、机の上がとても雑多でした。ですから、ざわついた机で書き物をするというのは、いわば一門の型であり、習わしであり、正当な流派の作法であると言っても過言ではないでしょう。私は敬愛する師匠と大師匠の姿をお手本に、守破離の精神で文筆道を歩んでいるのです。
はい、そうです。ぜんぶ言い訳です。片付けられない私の自己辯護です。しかし言い訳を考えることも、文章力を鍛えるのにはうってつけ。机の上が散らかっているというネガティブなイメージを、日本の芸道の修行プロセス「守破離」に置きかえて屁理屈をこねていくという着想。これもまた、キーボードに差し込んだままの飲食店のカード(店名が守破離)が緒になりました。
この混沌とした賑々しい机環境、いましばらくこのままで。私が物体に頼らずとも名作が書けるようになる、そのときまで。

WRITTEN BY kAwAucHi
タバコは3歳でやめました。文章を書いたり、企画を考えたり、進行管理をしたり。職種がふらついています。